私は、特に、ここのブログでは「自分」と向き合うということが隠れテーマというのかそういう存在だ。子供が1年生になるころに、自分の子育ての間違いに気がついてなんとかこれからやっていけると思った。このブログでは先輩ママとして双子育てで悩むお母さんたちの励ましができたらいいななんて思っていたでも、実際には毎日反省は続きまだまだ先輩ママなんていえない自分だった。子供を理解して、子供を認めたいそういう強い思いがはじまりその次に自分を責めるということになった子供を認めるには自分を認めないとすすめない。ここから自分と向き合うということが始ったように思う。それで自分と向き合うのにこのブログで、記事を書くということをしながらあーでもない、こーでもないと自分自身をふりかえり、自分を受け入れてきたように思う。ブログをはじめて2年以上が過ぎてそんなことを考えていた。みなさんはどう捕らえていらっしゃるかわからないけど私はぐちっぽい記事が多い。特に最初のころはそんなことばかり。でも、ちゃんとさいごは、がんばろうって思う。そういう記事にしたつもりでいる。それは、自分が前に進むために書いているから。今騒がれている、東京でおきたとんでもない事件。今日の新聞には掲示板への書き込みなど、多くの紙面をかざっていた。中日新聞の1面の「中日春秋」にはメールではなく掲示板「『誰でも』読めるメッセージとは つまり、確かに伝わる『誰か』を持たない メッセージにすぎない。 犯行自体も同じなのではないか。 つまり、男は殺すべき『誰か』さえ持ち得なかった」とあった。私はブログで記事をかいて、自分の気持ちが明確になる何度も読み返し強い気持ちとして植えつけられる。そういうことを感じていた。それは良い意味で。私は真剣にこの場にいるし、できれば、その画面の向こうにいる人にも前に進んでもらいたいって思ってる。犯人の心理なんて知らないけど、こうした「書き込み」と言う作業が、彼の気持ちを固くさせる何か作用としてはたらいたんじゃないかな???そんなことを感じた。ますます、これから、人に伝えることを意識して記事を書いていきたいなって思う。相手も良い気持ちになれるようにしなくちゃいけないよな。って。皆様、いつもあたたかいコメントをありがとうございます。